ぴよぴよ心理学者

どこから、ではなく、どこへ。

教育とは

教育とはなにか。

昨年度大学院に入学してから、ずっと考えていることの一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学時代は教員養成系の教育学部だったため、私の周りには教員志望が多かった。

「今まで出会った先生に憧れて」

「学校が好きだったから」

「人に教えるのが好きだったから」

そんな理由を持っている人が大半だった。

もちろん、少数ではあるが逆の人もいた。

「学校があまり好きではなかったから、もう少し楽しい学校にしたい」

「嫌いな担任のおかげで逆に教育の大切さに気づいたから」

どちらにしろ、高校生の段階で進路を決めるには、十分な理由だと考えられていたのではないか。

そして進路面談をした先生は、その生徒が教師になることを応援したはずである。

現にそうして、私を含めた学生たちは大学生になっていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれだけの先生が真剣に考えた経験があるだろう。

教育とはなにか。

 

一歩間違えば、洗脳である。

私達が、社会が、必要とする人間に洗脳していくのである。

それなくしては、社会が機能しなくなるし、お互いに生き辛い世の中になるのは分かる。

でも、じゃあ、どこからが洗脳で、どこまでが教育なのだろうか。

 

そして、先生が子どもに与える影響の大きさ、責任の重さは一体どれほどだろうか。

私はそれを考えたとき、恐ろしい仕事だと思った。

現に自分の中にも、先生からもらった言葉は刻まれている。

その子どもにとってポジティブな影響だけではないだろう。

トラウマになるようなことも含まれる。

一言一句に責任をもたなければならない。

それでも失敗することもある。

一体、何ができるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは見つからないけれど、こうやって真剣に考え、先生同士がその考えたことを共有することが、ものすごく大切なんじゃないだろうか。

教員の働き方改革と言われ始めて数年が経ったけれど、この意識なく業務削減した結果、学校には何が残るんだろうか。